感謝とは成功としあわせの入り口

デパートでの買い物、高級料理店での食事、の後、心のこもった

「・・・ありがとうございます・・・」には耳と目にも心地良い思いを与えてくれる。

しかし人の幸、不幸を決定づける感謝の念は、目にふれる事も少なく、

耳にする事もほとんど無い、つまり多種多様な出来事、数々の人の言葉、

行為に対し、その人の‘受け取り方、捉え方’すなわち“目に見えない

心の在り方”一つでその人のその後の言葉、行動も変り、その人が幸せに

なるか否かの分水嶺と言っても良い・・・。

ある出来事に対し、10人10色の受けとめ方、その受け入れ方により理解の色

(心の在り方)は変り、考え方が創られ、その考え方(心の在り方)の一色のみを、

感謝の念という。

◆ある出来事の「心の在り方」の色(正負)

≪負の色≫

「私が何故このような仕打ちを受けないといけないのか・・・。
間違った事はしていない、尽くしてきたのに・・・」と、ずーと長い間の憎悪の念・・・。

≪正の色≫

「俺が未熟だったから、このような結果になったのだ。遅かれ早かれいずれ
このような事は起ったであろう・・・若くて良かった・・・MZにむしろ感謝せねば・・・
そして俺がMZに先々「ありがとう」と言えるような人間にならない限り、俺には成功はないし、俺が幸せになれない時はMZが正しかった事になる」・・・それが世の中というものかも知れない。

人間の幸せへの原動力である「心の在り方」・・・。
大切なものは目に見えない・・・。

「目に見えない心の在り方」・・・三人三様の心の法則

  物ごとには本来、善悪はない
      ただわれわれの考え方いかんで善と悪とがわかれる  (シェークスピア)

例@子供と親

Cという子供は
     夫婦喧嘩、親の経済力等をなじり、子供の時はわからない
    ‘隣の芝生はいつも青い’を不平不満にすり替え、「私は好きでこの家を
     選んだ訳ではない・・・」「生んだのは親の勝手でしょう」とうそぶく子供。

Bという子供は
     親の懸命の養育を「義務だから当然・・・」と親の義務を主張し・・・
    「当たり前でしょ、親が子供を育てるのは・・・」と権利?を求める子供。

Aという子供は
     「母ちゃん、うちは父さんも母ちゃんも一生懸命働いているのに、
     何故貧しいの?」
母   「事業に失敗してネ、人様に迷惑掛けているから・・・借金を返すのに
     精一杯なの・・・」
子供 「じゃぁ・・・僕が将来・・・偉くなって・・・楽させるからネ・・・それまで・・・
     元気でイテヨ・・・」「母ちゃん・・・」

Aという子供のその後
親という重い荷を負い無償の愛を与え続け・・・報われる事のないまま淋しく
この世を去っていった母と父という人間は、星の数より多いかも知れない。
“親孝行 出来る時には親はなし”あの世の母と父へ「母ちゃん、父さん、
俺少し偉くなったヨ!」「今から親孝行するからネ・・・」と喉を枯らし声を
張り上げても届く筈もなく・・・しかし亡き母、父の面影は幻影として甦る。
生きてる時には目にした記憶もない・・・安堵の母の顔、「よく耐えたナ」という
父の笑顔。それを励みに「負けないで頑張るからネ・・・これからも・・・」と面影との
会話は、耳目にする事は出来ないが「大切なものは目にみえない・・・」である
感謝の心。


三人三様の心の在り方

例A同質同量の仕事の三人が手にした30万円の給料に対しての三様の心の在り方。

Cという人は
    「俺の働きに対しては少なすぎる30万は・・・」とブツブツ不満を募らせ、
    そして手抜き、結果はミスの多い仕事・・・。

Bという人は
    「世間相場はこんなもんだろう・・・」「まぁ、可もなく不可もなく、適当に周りを
    ヨイショしながら・・・」「無難に・・・触らぬ神に祟りなし」と世渡り上手?を
    自認。

Aという人
    「私はミスも時々あるし・・・仕事も速いとは言えない・・・割増点を付けても・・・
    25万が適当では・・・有難山の時鳥ダワ・・・」5万円多い分は時間と人の
    助けをしよう・・・」「学校では学べなかった事も学べ・・・その上この給料・・・」
    人間は色々で、同じものを与えられても三人三様のとらえ方があります。
    この三様の人が将来どのような質のリレーション・シップと、如何なる道を
    辿るかは説明を待つまでもなく、想像するに難くない。それが自己責任の
    原則。

松陰先生へ

「感謝なき者に愛はなし、愛なくして勇気なし、勇気なくして人はなし、
     人材なくして知恵はなし、知恵なくして成功なし、故に感謝なくして成功なし」

                                  高杉晋作他志士一同より

八ヶ岳は感謝の山

感謝の心は、人に言われ、押し付けられ、養われ心に宿すものではない。
湿地に群生する杜若までの香りはないが、「目を閉じてスーと息を吸うと幸せという
香り・・・」に、見まがうような森の澄んだ空気、この香りも長年風雪という自然と
向き合いながら育った樹木の連なりから醸し出されたものであり、人の感謝の心も
自然同様、身に常に携えるには長年の歳月が必要のようです。
それは素晴らしき言葉に触れ、それに感動し、いつか私も・・・
素晴らしき愛ある姿に感動し、いつか俺も・・・素晴らしき幻影との会話に涙し、
いつか・・・僕も・・・。 それが八ヶ岳。

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